イマジン七夕スペシャル・曲目解説④
7/7(日)イマジン七夕スペシャル「ロマンティック4大協奏曲」でサントリーホールに響く名曲の数々、各曲の聴きどころをお伝えしたく、音楽ジャーナリストの池田卓夫さんがご執筆くださったプログラムノートを公開します。
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«イマジン七夕スペシャル2019・曲目解説»
池田卓夫 音楽ジャーナリスト@いけたく本舗
●ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18」
セルゲイ・ヴァシリエヴィッチ・ラフマニノフ(1873〜1943)はロシアのノヴゴロド州セミョノヴォに生まれ、米国カリフォルニア州ビヴァリーヒルズで亡くなった作曲家・指揮者・ピアニスト。モスクワ音楽院で厳格な教師ズヴェーレフの自宅に寄宿しながらピアノ学習に身を入れ、チャイコフスキーに才能を認められた。アレンスキーに和声、タネーエフに対位法も師事。18歳でピアノ科を卒業するときは、親友スクリャービンとともに金メダルを得た。1917年の革命でロシアを去り、デンマークを経て米国に定住。ピアノ曲だけでなく交響曲、室内楽曲、歌曲、オペラまで手がける大作曲家だった。
「ピアノ協奏曲第2番」は作品番号ベースで全45曲ある作品の中で最も人気の高い名曲だが、誕生までに紆余曲折があった。1897年に「交響曲第1番」のペテルブルク初演が失敗、1899年には歌曲「運命」を文豪トルストイに酷評されるなどで神経衰弱に陥った。作曲ができなくなったラフマニノフは周囲の勧めもあり、1900年1〜3月に精神科医ニコライ・ダーリ博士(1860〜1939)の催眠療法と心理療法を受診した。
最近の研究では、ダーリの貢献は「数度の治療に過ぎず限定的」とされるが、ラフマニノフに対し、何らかの立ち直りのきっかけを与えたことは確かだろう。1901年にかけて「ピアノ協奏曲第2番」「2台のピアノのための組曲第2番」の傑作2曲を書くことができた。1901年11月9日に作曲者自身のピアノ、従兄弟のアレクサンドル・ジロティが指揮するモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団で行なった世界初演は大成功。ラフマニノフは作品をダーリに献呈しているので、かなりの恩義を感じていたようだ。
ピアニストとしても長身の恵まれた体躯、大きな手に恵まれ、第1級のヴィルトゥオーゾ(名手)のキャリアを死の直前まで全うしただけに、ラフマニノフのピアノ作品は楽器の魅力を極限まで引き出す。交響曲やオペラでの蓄積もあって管弦楽法に秀で、指揮者の経験も反映されるので、演奏効果は非常に高い。4曲あるピアノ協奏曲では第1番が血気盛んな若者の音楽、第4番が米国移住後に吸収した新しい語法の反映で異彩を放つのに対し、第2番と第3番では濃厚なロシア情緒、華麗なピアノ技巧が前面に出る。
第2番は1)モデラートのハ短調、2)アダージョ・ソステヌートのホ長調、3)アレグロ・スケルツァンドのハ短調(終結部でハ長調に転調)----の3楽章構成で、演奏時間は約35分。
▶公演情報
2019年7月7日(日)15:30開演
サントリーホール大ホール
第15回イマジン七夕スペシャル2019
「ロマンティック4大協奏曲」
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